『息子の中学校で、同じ学年で不登校の子は10人くらいいるよ』
これは、先日帰省した友人と会った時の話です。
彼女は近畿地方に住んでいますが、息子さんは普通の公立中学に通う2年生。
1学年で10人ですから、全学年にすると、もしかしたら不登校の子だけで1クラスが作れそうな感じですよね。
息子が小学校、中学校に在学していたころは、学年に1~2人くらい。
学校にもよるのかもしれませんが、10人は多いな、と正直思いました。
学校に通えない子が増えてる、数字だけ見ればそう受け取れます。
学校側としては、対処すべきことが多くて、とても悩ましい問題ですよね。
でも、私は不登校側の立場の人間ですから、通えない子にしたらちょっと心が楽になるよね、と思います。
不登校とならずとも、やっぱり学校が合わなくて、我慢をしつつ通っていた子もいたと思うんですね。
幼すぎる時期に、自分の心を抑えつけることを身につけてしまい、自分で心のバランスを失ってしまう、それを続けていると、病気となって現れてくることもあります。
その病気を20代、30代、40代まで抱えてしまうことだってあります。
ですから、
行けない・・・
通えない・・・
心にブレーキがかかった子が、無理をせずに行かない選択をしているのは、
私にしたら、『良かったな・・』と思えることなんですよね。
どうしても良い悪いで考えがちで、
行かないこと=悪いこと
これが、親の頭であり、学校の考えであり、世間の常識にもなっています。
かなり強すぎるんですよね。
あくまで希望論ですが、これだけ、不登校の子が増えてくれば、いろんな環境も徐々に整ってくるだろうし、無関心から理解してみようという人も増えてくるのかなって思っています。
学校に通えない子の気持ちに寄り添った環境が整うことが望ましいですね。
母親である私ができることは、行けないこと=悪いことでは決してないよ。
まず、この偏見から離れてみようよ、ということなのです。
言葉を変えて言うなら、人の個性に良いも悪いもない。個性とはある一面が強く出ているだけ。
不登校も同じです。
学校が合わない、という個性なんです。
学校が合わないなら、他の何かが合うという個性を持っているはずで、それは、その子によって違うし、まだまだその個性が眠っている可能性が高いです。
もしかしたら、日本ではなく海外が合うのかもしれないし、職人向きなのかもしれない。
一人コツコツと集中する研究員向きなのかもしれないし、社会向き、社長向きなのかもしれません。
子供にはいろんな可能性、個性があるんですよね。
学校に行けない子という目でみれば、そういった目でしか見れなくなります。
でも、学校は向かなかったかもしれないけど、他に向くんだな?果たしてそれは何だろう?ちょっと、もう一度この子に合うものを探してみるか?
くらいの気持ちを持てたらいいですね。
きっと光るものを持っていますよ^^そこを見つめていないだけなのです。
これは、現在学校に通えていない・・・というお母さまにはぜひ持っていただきたい意識ですし、通えているお母さまにも、一歩を進んだ認識を持っていただいて、
学校に通えない子に『優しい環境』を創り出したいと思います。
そして、子供に接し、苦しさを抱えているお母さんに、その苦しさを乗り越えた先には、ご自身の成長であったり、在るがままを幸せと感じる豊かさであったり、今とは違う世界があるのだと私は信じて伝えます。
これほどの痛み、苦しみを味わえば、接する方々の様々な痛みをも感じ取れるようになるはずです。
健康上のもの、
家庭によるもの、
人間関係によるもの、
金銭関係によるものetc
痛みの種類は違っても、どんな気持ちでいるのかはわかりますよね。
マザーテレサは、愛の反対は無関心と言いました。
自分の心の痛みを知って、接する人の心の痛みをも知る。
不登校のお母さまが直面している痛みは、愛に向かう道なのだと思います。
決して自分を責めたりするのではなく、堂々としてください。
ちょっと、今日は熱くなってしまいましたけど、これが、まだまだ表現しきれない私の想いでもあるのです。
不登校に苦しむ親子ではなく、本当は選ばれた親子なのです。
不登校に対する違う認識をね、こうした発信を通じて、少しずつ少しずつ広げていけたらなと思っています。