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お釈迦様の台座はなぜ蓮の花なのでしょう。この話を聴いたことがありますか?

 

なかなか肉体的にも精神的にもハードは日は続いていますが、昨日の結果発表で今年度の息子の行事は終了しました。

本人も主人も私も、思いというのはそれぞれで、きっと同じではないでしょうね。

こういった状況の時が一番自分の感情が外に出やすいときかもしれません。

自分の思いが先走ってしまって、相手の気持ちを考えていない言葉を発してしまう可能性があります。

要は、ベクトルが完全に自分に向いてしまっているということですね。

感情が落ち着いたあとになって「何であんなことを言ってしまったんだろう・・」と反省することを私も散々繰り返してきたので、今の状況を分かっていますよ^^

ここ数日は、それぞれが今の感情を大切に感じながら整理し、落ち着いてから今後のことを話し合うのがベストと私は思っています。

 

今は家族3人が心身ともに休む時期かな。

親が子供を心配するのは当然で、親にとっての安心する道というのがあるのも事実ですよね。

でも、実際歩いていくのは子供自身です。子供が選び、その方面に向かうのがやはり良いと私は思えています。

そして、その歩いている過程で、親や先生、人生の先輩者がかけてくれた言葉に後々気付くことがある。それで良いかなって。

 

今は丁度お彼岸なので、今日は仏教的観点からお話を。←息子からもらった(笑)

お釈迦様の台座はなぜ蓮の花なのか?という話があります。

泥水が濃ければ濃いほど大輪の花を咲かせるのが蓮の花。

きれいな真水に近い水では小さな花しか咲かせることができないのが蓮の花です。

 

大輪の蓮の花は、泥水の中からしか生まれない。

 

人生での辛いこと、苦しいことがこの泥水で、大輪の花を咲かせるのに必要なことがこれらの苦難です。

つまり、辛く、苦しいことがないと人は悟れないということ。

苦難が来たら、これが私を美しい政界へと導いていく、ありがたいな、と思えるかどうかということですね。

 

お釈迦様の教えはここにあります。

「悟り」に至れるほど、私は成熟した人間ではありませんが、今の自分よりも良くすることはできます。

この今感じている苦難は、自分が未来に咲かせる大輪の花に必要なもの。

そう思いたいですね^^

 

だから、今起こっていることに「あーすればよかった」「こうだったから仕方ない」と言うことは、花を咲かせることを自ら拒むということなんですよね。

過去の出来事を受け入れ、現在の出来事を受け入れ、そして未来を信じて未来の結果をも受け入れていくのが、心豊かな人生につながっていくこと。

 

私は悟っていませんけど(笑)、言いたいことはとてもわかります。

 

息子がどんな大輪の蓮の花が咲かせるのか楽しみにします。

 

そして、私もいつか「悟り」の境地に達してみたいですね^^

 

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