サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

不登校を乗り越えるのに、親が変わる必要があると言われても・・・

 

不登校問題は親が変わることが必要である。

 

これはよく聞く言葉ですよね?

でも、実際のところどうなのでしょう?

確かに、そういうところもあるとは思います。

でも、不登校初期にはとても耳が痛い言葉でもあって、結構キツイ言葉ですよね。

 

うーん。

なんていうのかな?

結果として、自分が変わっていった・・という方が、私は近いような気がします。

結局は後付けからそう言える、ということです。

 

最初はなんとかしようと母親も一生懸命なんですよ。

でも、自分が変わろうとしたところで、子供に変化がないのも不登校の特徴かもしれなくて、私はこんなに頑張っているのに報われない・・と悲しくもなってきます。

自分の感情を抑え込んで子供に向き合うから、どうしても無理がかかっているんですよね。

 

今になって思えば、これは本当はとっても自然なことで、ごくごく普通の姿のような気がします。

意識している方はほとんどいないと思いますが、人は「人」に対して感情で反応するんですよね。

 

笑顔で挨拶されたら嬉しかったり、
交通マナーの悪い車を運転をする人にイラっとしたり、
旦那さんと喧嘩をすれば嫌な気持ちになったり、
反対に、労いの言葉をもらったら嬉しかったりね。

 

日々、私達の感情は揺れ動いているんですよ。

これは、誰でも一生付き合っていくものですよね?

そう思いませんか?

 

子供の小さい頃の話で言えば、「今忙しいから、あとでね」の言葉が説明しやすいかな?^^;

自分がすごく忙しい時に子供に声をかけられて「今、忙しいからあとでね^^」と言ったことありませんか?

悪いことに、これは無意識に発している時もありますよね。私はよくありました。

でも、子供にしたら、その時に何か大切なことを話すタイミングだった可能性もあって、「今なら話せる!」と思って声をかけてくれたのかもしれない。

でも、一方の私はその気持ちを考えることすらしないで、自分の忙しさに圧倒された感情で「あとでね^^」と反応してしまう。

 

今思えば、この対応は母親としてふさわしくなかった行為だったと反省しております。

ベクトルが完全に忙しい自分に向いていて、子供に一切向いていなかったということですからね^^;

「あとでね^^」ということで、子供の気持ちも一気に冷え込んでいた可能性も考えられます。

 

不登校初期もこれに似たようなところがあるかな。

最初は、どちらかというと自分の感情を落ち着かせたくて、必死に動いているところがあって、子供のためと言いつつ、自分のため、という部分も本当は強いんですね。

認めたくはないけど、そういう部分ってありませんでしたか?

私は100%そうだったと言い切れますよ。

 

子供の学校に行かない態度やゲームばかりする態度、朝起きない態度に苛立ちを感じるのも、子供に学校に行って欲しいという自分の感情があるからですよね?

 

でも、人は学ぶことができます。人には理性があります。

いつかそんな自分に気づく時が来るのです。

ベクトルが自分100%だったものが徐々に減って行って、子供に向いていく時がくるんですよね。

そのタイミングが早く訪れた方が自分が苦しまずに済むけど、これは苦しみを経ることできっとわかるものなのでしょう。

 

だから、無理して変わる必要もないのかな、と私は今は思っていますよ。

あなたに必要な時に「悟り」のような機会は、きっと訪れるはずなので。

 

きっかけとなるキーワードがあるとしたら、

「自分の感情を優先していることに気付いていますか?」

ですね。

 

子供にも感情はあるのです。

もしかしたら、母親よりも辛い感情を抑え込んでいる可能性もあります。

自分がどんなに辛くても、子供に「思いやり」の気持ちを向けられるかです。

自分の感情を抑えてでも、子供の気持ちを考えることができますか?

自分の感情と喧嘩をしながら、ここにたどり着くことで親が変わった状態になるのだと思います。

 

まだ、ピンと来ない方もいらっしゃるとは思いますが、自分が乗り越えた時に、この意味がきっとわかります。

 

実際、乗り越えていらっしゃる方は、少しは頷けるところがあるのではないでしょうか?

 

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