サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

不登校を経て大学生活を送る息子を見て思うこと

 

息子が大学に入学してからほぼ1ヶ月。

新たな環境にも慣れてきて、リズムも整ってきたようです。

母親の私が促さずとも勝手に大学に行く息子を見ていると、今までは何だったんだろう?って不思議な感覚になります。

サークルにも入ろうか、そろそろボウリングも再開しようか、大学院入試に備えてカテキョーくんと英語の勉強を開始しようかと、最近はまた意欲的。

サークルもね、任意で参加するボランティア活動のサークルらしくて、これは息子のどんな思いから来るんだろうと考えさせられます。

ボランティアに参加することで単位が取れるよ~というものであれば「単位取得のためね」と納得もするし、アルバイトをするというのなら「自由になるお金が欲しいのね」と納得もします。

 

息子のボランティアをする目的は何なんだろう?

 

これが私の不思議です。

純粋に奉仕の心から?

もしそうだとしたら、その心はどこから来た?

自分が不登校で辛かったから?

 

とても嬉しいことではあるんだけど、不登校で意欲のない時期もあったので、その大いなる違いに変な感覚なんですよね。

私自身がアルバイトに明け暮れた大学生活で、ボランティアには見向きもしなかったから尚更そう思うのかもしれません。

これを書きながらなんとなく息子の心を推測しているんですけど、労働の対価としてのアルバイトは多分が心が拒否しているのかなと感じます。

時間に縛られることもあるし、言われたことをただこなすということにも抵抗があるのかなぁと。

ただ、アルバイトでもちょっと違った要素が入れば心が動くのかもしれない。

例えば、それこそ不登校小学生や中学生の話し相手になるとか、勉強を教えるとか(教えられるレベルであったとしてね^^;)、あー、初心者の方へのボウリングの手ほどきとか、介護は無理でも老人の話し相手とか、ですね。

こうして書いていると共通しているものが見えてきますね(笑)

 

息子が求めるのは、人との関わりなのかなぁ。

人との関わりから得られる心の充足を求めているのかなぁ。

 

ただね、息子の心境がどうであれ、今の息子と不登校時の息子とを比較して思うことがあって、

それは、不登校の子供にとって、学校は本当に大きくて、そして重い存在だったということです。

学びたい意志があっても、学校という環境には負けました。

だから、せめて高校の3年の間だけでも大学のような環境が用意されていれば、子供は楽になれていたのかなぁと思ったりして。そうすれば、少なくとも3年間の苦痛からは逃れられたと思います。

 

大学のような高校というと、単位制の高校が一番近いかなぁ。

ただ、現状の単位制高校は、どちらというと定時制の感覚に近くて進学を考えた場合は不利のイメージが強いですよね。

普通高校でも特進科あるくらいですから、単位制高校の進学科コースなんてのがあってもいいのでは?面白いのでは?と今ちょっと思いましたよ。

予算とか運営とか人が集まるとかあくまでもそういうのは無視しての考えでね^^

 

ま、これは教育に関する展望であって私が動かせることではないので、不登校の子供の母親としては、自分でできることを見つけて試していくことになるんですけどね。

不登校の子供の母親は主体的に動くことが求められているんだと思います。

トライ&エラーでね。

 

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