今朝はちょっとした揺れを感じる地震がありましたね。
歩いていたり、動いていたりするとわからないくらいの地震です。
こうした地震の揺れも、私たちが悩まされる心の揺れも、対応は同じかも・・とふと思いました。
どんな小さな揺れも自分が横になっているときや静かに座っているときは感じやすく、特に、まだ暗く布団の中で横になっているときは、揺れの余韻まで感じることもできます。
大きな波が段々と穏やかに静まっていく感じですね。
一方で、自分がアクティブに動いている時は、震度3、4くらいまでは気付かずにいることも多いです。鈍感な私だからかもしれませんけど(笑)
友人から「地震大丈夫?」のLINEで気付くこともあったりするんですよ。
これを心に置き換えてみたらどうだろう?
考えてみたら心も同じだなって思いました。
難しいかもしれないけど、自分の心が「無」に近いときは、心は小さな波さえもキャッチできます。
瞑想をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれませんね。
心が穏やかに静まっている状態の時は自分自身も深い意識に入れます。
自分も気付かない本音というのは、こうした時に訪れる小さな囁きなのかも。
心が落ち着いているから、耳が痛い囁きも聴けるのかもしれません。
一方、自分の心があっちこっちと動き回っているときはどうでしょう?
あれもしなきゃ、これもしなきゃと心が忙しいときは自分の心の声は全く聴こえませんよね?
あとから何で気が付かなかったんだろうと唖然とする経験は誰でもあると思います。
波が激しければ激しいほどその傾向は強くなり、それがいわゆるパニック状態。
でも、それに反応するのが人間でもあり人間らしくもあるところで、心をコントロールすることに慣れていないと、パニックに陥る可能性も高いということなんですよね。
わかってはいるんだけどね。なかなかできないよね。
私は元々がじっとしているより、動いている方を好むタイプです。
だから、瞑想などという何十分も座り続けるという作業は実は苦手。
座っているうちに、アレをしなきゃいけないと思ったり、一人でやっているときなどは席を立ってしまうことも多く、とてもできたもんじゃない。
でも、合氣道をやったときに呼吸法という稽古がありました。
それは、30分くらい師範が打つ拍子木の音に合わせて、吸ったり吐いたりを繰り返す稽古なんですけど、稽古なのでやるしかありません。
この時にですね、初めて心の清々しさというのを感じたんですね。
この清々しさはやったものしかわからないものかもしれませんけど、落ち着いた状態がとても気持ち良いのです。
この呼吸法は誰でもできるもので、難しいことは一切ありません。
床でも椅子でもいいから座って吐いて吸ってを意識してやるだけです。そのうちに心が静まってくるのがわかりますので、あとは自然に任せて呼吸を続けていけばいい。
これが、私が心をコントーロールに使う一つの技術であり方法です。
私も合氣道からちょっと遠のいてしまったけど、一度学んだことはこうして引き出せるんですね。
人間の脳って本当にありがたい!素晴らしい!
【参考図書】