サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

不登校の子供を持つのは、選ばれた母親

 

子供が不登校になると、

『なんでうちの子供ばっかり・・・』
『なんで私ばっかりこんな目に合うの?』

誰でも一度は思ったことがあるはず。

私は一度どころではなく、何度も思いましたよ。

 

私の場合、不登校だけではなく喘息がひどくて入退院を繰り返していましたし、主人は仕事が忙しく、我が家は『家庭内母子家庭』状態。

その中で全部を私一人でこなしていましたから、不満も不安も渦を巻いて大きく成長していましたね。

 

不満、不安、心配・・・

私はこの感情を持つ自分が嫌で、無理にポジティブ思考になろうとしていたところもありました。

というのも、どこかで引き寄せの法則を信じている自分がいて、不満や不安を口にすると、そのようなことを引き寄せる・・・と信じていたからなんですけどね。

 

これは、確かにそうかもしれません。
でも、それは自分の感情を受け止めてからの話で、自分の感情を無視して、我慢を重ねて言わなかっただけでは、言わない分余計に心の中では大きくなります。

愚痴をはける人、愚痴をはくことに抵抗がある人、これは人の性格によると思いますが、自分の感情を無視することはあまり良くないかな?

適度に出して自分を癒すことも必要と最近は思うようになりましたね。

辛いときは辛いと訴えればいい。忙しいだろうけど、協力してほしいと言えばいい。

自分の感情をある程度処理してからでないと、本当の意味でのポジティブ思考にはなれません。

 

我慢を重ねてしまうと、これは恨みになってしまうので、その前に・・・です。

 

不登校の親はホント大変ですよ。

ただでさえ育児は自分の思うようにいかないのに、不登校では尚更です。

みんな苦しみながら、それでも乗り越えていってるんですよね。

 

不登校は子育て以上に親育てだと私は思っています。

 

自分の認識を全部ひっくり返すくらいに自分のマインドを変えないと、真の意味で乗り越えられない。

不登校の子を持つ母親なら実感することではないでしょうか?

 

他人を変えるのではなく、強制的に自分を変えざるを得ない、この状況が不登校にはあります。

 

これ、人間成長しますよ^^

一定のラインにたどり着くまでは、苦痛に悶えることが多いんですけど、あるラインを超えると一気に成長します。

 

人って何と言おうと自分が可愛い、自分を中心に考える生き物なので、不登校の最初の段階では、親のベクトルは自分に向いていることが多いです。

子供のことを心配しているようで、実は自分に向いているのに気付けない。

『私ばっかりこんな目に・・・』
『学校に行ってほしい・・・』
『将来が心配・・・』

これは自分を見ている言葉ですよね。

 

こんな状態をもがきながら過ごして、次第に、

『なぜ通えないんだろう?』
『この子の嫌なことは何なんだろう?』
『教室に行けなくても、何だったらできるんだろう?』
『この子のために私がしてあげられることは何だろう?』

と変わっていく。

子供の心を見つめながら、自分の心も見つめていくようになっていくんですね。

 

相手の身になって考える、とよく教えられたものですけど、実践は難し。

 

人がどんなことに悩み、心を痛めているのか?
自分にできることは何か?
相手を喜ばせるにはどうしたらいいか?

これは、人間関係の基礎です。

嫌われる人、あなたが嫌いだと思う人は、自分のことを考えていることが多くないですか?

 

不登校で苦しむのは、まだまだ自分の考えが強くて、それを押し通そうとする力が強いんでしょうね。

それがダメだと自分で気付いて、子供に目を向けた行動をとれるようになると、状況は変化します。

 

最終的に不登校の親はそうならざるを得ないんです・・・

 

だから、不登校の子を持つ親なら、知らないうちに、自分ではなく相手を見る能力が磨かれているし、まだそうでない方もその過程にあるんだと私は思っています。

 

ご自身では意識していない方も多いとは思うんですけど、自然と人を導くための人格というか、器が育っている方が多いんじゃないかな、というのが私の思うところです。

 

その身についた能力を第2の人生にも生かしてほしいな、とも思っているんですよ^^

 

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