今日は不登校解決方法について、もう一度考えてみたいと思います。
書きながら自分の気持ちもまとめる意味も込めてね。
私にとっての不登校解決は、完全に私自身の問題であって、息子が復学しても、不登校のままでも関係ない、ということが言えます。
不登校初期は復学を目標にしてたけど、イロイロと長きに渡るにつれて、私の考えはそのように変わっていきました。
このことに納得できる方、イラッとする方、疑問に思う方、こちらもいろいろでしょう。
不登校の解決というゴールも人によって違うし、あなたにとってベストと思うやり方で解決していけばいいのであって、他人に倣うこともないし、勿論、批判する必要もありません。
私の場合、
私は息子が復学できることを目的にいろんなことをした
↓
自分が心身面で疲れ果てた
↓
自分の今ある環境を愛せる方法を探し出した
↓
子供をコントロールすることではなく、子供の在り方を愛するようになった
ざっくり言うと、こんな感じ。
また、こういう見方もしました。
息子の10年後、20年後をイメージして、その時にどんな人格を持って、どんな考え方をしていて欲しいか?
とね。
先に未来を見て、そこから辿ってきてみると、登校できた、というだけでは解決とはならない、ということもわかりました。
私が将来の息子に望む姿というのは、
・広い視野を持って考えることができる人になること
・自分が持つ本能的な個性を活かして欲しいこと
・自分の人生を心豊かに過ごして欲しいということ
・人に信頼され愛されることで
・人の心の痛みがわかること・・・
(私も贅沢だな、次々出てくるぞ^^;)
人間は社会的に群れを作る生き物であって、周囲に合わせるために、本来在る自分を抑えることが求められます。
学校、会社、がそうですよね。
息子が精神的にも成長して、ある程度社会に適合できたとして、
果たしてそれが息子らしく在るのか?
群れを苦手とする息子が、自分を抑えながら群れに入ることを私は見ていられるのか?
私の答えはNOでした。
厳しさは伴うかもしれないけど、本人が責任を負うのであればいい。
私が息子をコントロールすれば、息子の自由な選択をも奪ってしまいかねない。
そして、何より、自分で運命を切り拓いていこうとするチャンスをも奪ってしまうかもしれないのです。
そう思った時、助言は与え、他の選択肢を提示しつつも、選択は息子自身に委ねること。これが、私にとっても幸せ、息子にとっても幸せ、なんだろうなって思ったのです。
家でスマホをりいじっていても、昼夜逆転の生活でも、そんな姿を見てイラッとしつつね、息子の生き方を尊重し、愛することができれば、それが私が自分で作り上げた公式みたいなもの。
公式の成り立ちを息子を通して理解しているのですから、それは他の人にも応用可能で、いつでも使えるようになりますよね。
つまり、他の人の考えや人生を尊重するということです。
息子が学校に行こうが行くまいが、息子が息子らしく在ってくれたら私は嬉しい。
自分で道を切り拓いて行ってくれたら嬉しいです。
親バカだけどね、今は不登校でも、将来の息子を信じることができるんですよね(⌒-⌒; )
だから、どんな状況であろうとも、その環境が最高!と楽しめる自分になることを、私は選択しますよ♪( ´▽`)