サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

【不登校】は自分らしさの選択のようで、自分らしさを奪っている

 

息子を知る私の友人から最近よく言われることがあります。

それは「〇〇、最近明るくなったね~」と。

 

確かに昨年までの息子と今の息子は表情が全然違う。

それは毎日接している親の私も感じること。

 

そう思うと・・・

これまでの11年間は、息子にとっては相当長かったんだろうなぁ、私が思う以上に小さく生きていたんだろうなぁと思えます。

 

今の息子は、気心が知れている人とは良く話すけど、第一印象はおとなしく無口に見える。でも、幼少期の息子は、誰にでもニコニコと話しかけ、とにかくよくしゃべり、たくさんの人に可愛がられる存在でした。

懐かしいね(^^♪

入退院を繰り返していた時も、看護婦さんは勿論、同室の子供や付き添いのお母さんにも自分から話しかけ、巻き込んでいましたっけ。私が売店に買い物に行って帰ってくると、見知らぬ方と話していたこともあって、私が「???」な顔をしていると、「廊下を歩いていたら、話しかけられて・・」なんてこともありました。

 

だから、本当は「明るくなったね」ではなくて、「明るさが戻ったね」なんだと思います。

 

私は、思春期特有の変化かと思っていたけど、そればかりではなかったんでしょうね。不登校という現実が息子から明るさを奪っていたのかも・・・と今は感じているんですよ。

 

前にも何度か、私は「不登校」という言葉が嫌い!ということを主張をしてきました。

「不登校」という文字を見ると、途端に心がざわつき、ネガティブな良くないイメージが湧いてきて、私の気分は悪くなります。

私がそう感じているのですから、言われる子供たちはどうでしょう?

「あなたは不登校」そのラベルを貼られて、それをずっと抱えて生活しているんですよね。残念だけど、言葉一つで不登校親子に見えない大きな傷を与えていると思います。

 

昨日、ちょっと本屋で立ち読みした本がありました。

欽ちゃんファミリーの小西博之さんの自叙伝です。

「あー、懐かしい」と思って手に取り、「そう言えば、大病をしてたよな」と思い出し、さらっと立ち読みしました。

小西さんは「余命ゼロ」と宣告され、手術療養し、現在は完治し、積極的に講演活動をしているようですね。

講演活動で全国を回る時に、不登校のお母さんから相談を受けることも多いらしく、本では不登校につれても触れていました。

小西さんも「不登校」という言葉はなくしたいと言っていました。不登校ではなくて「家が大好き♡」でいいじゃないかと。

これには、私も同意します。

同じ事実を現わしてはいるけど、「家が大好き♡」はちょっとホッとするものがあります。

 

まあ、現実をしっかり見なさい!そして、対処しなさい!

という意見もあるかと思いますけど、私の息子は、実際、学校よりも家の方が好き。これは事実なので私はそれでいい。

 

自分らしく生きるって自然なことのようで難しい。

子供だけではなく、私達大人も自分らしく生きている人って少ないんじゃないのかな?これが、日本人の国民性なのかもしれませんけどね。

自己中心のわがままではいけないけど、不登校はわがままではないと思います。

不登校の経験のない人には、わからないかもしれないけど、子供に寄り添う心を持てるようになればなるほど、それは決してわがままな行動ではないことに気付きます。

 

行けない気持ちを理解してもらえず苦しいのに、その上に「不登校」と言われて、子供はどんな気持ち?・・・

 

不登校の子を持つお母さんだけでも、温かい目で子供たちを見てあげられたら・・と心から思います。

 

参考文献はコチラ。本屋さんで読んでみてください^^

 

 

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