昨日は息子の試験のヤマ日だったようで、かなりブーブー言っておりました。
大学教授はなかなか曲者、変人が多いですよね?
その中でもちょっと際立っているのがM教授です。
風貌もかなり個性的。ハゲ頭だけど、後髪は長く、口ひげとあごひげを仙人のように伸ばし、そして、丸眼鏡。一度見たら忘れないタイプですね。
このM教授、意図してかどうかはわからないけど、
- 教科書なしの講義
- マイクを使っているのに声が小さくて聴こえない
- 板書の文字は小さくて読めない
- ここ出すよ!と言って、違うところを出す(笑)
- 毎年試験内容が変わるので、先輩情報は使えない(笑)
- 漢字を間違うと減点
- 「夏休み中、私は暇だから、君たちの答案をゆっくり読ませてもらうよ(´ω`)」と言って立ち去る(笑)
こんな感じなんだそうです。
息子の話からM教授を想像するに、かなりイヤミったらしいお方ということ(笑)
このM教授は息子の通う大学のみんなが通る最初の壁で、他の単位は落としても、このM教授の単位だけは落としたくないという学生がほとんどなんだそうです。息子も受験勉強以上に真剣でしたね(笑)
結果は夏休み中にネットでわかるようですけど、さて、どうなるでしょうか?笑笑笑
こうして、ブーブー言ってはいるんですけどね、文句を発する空気感がやっぱり高校までとは違うんですよ。自分で選んだ責任でもあり、自力でクリアしていかないとという覚悟でもあるってことかな。
高校までは学校というか、学校教育そのもの対して真剣に怒っている風でしたからね。
文句は言いつつも大学生活の充実度と比較すると、高校までは本当に嫌で窮屈だったんだろうなぁと思えますよ。
高校までの息子は、私個人的にはアスペルガーっぽいところがあるなぁと感じていたところがあったのですが、今は感じられなくなりました(私の中ではね)。
まぁ、性格はクセがあり、変わっていますけどね、普通の大学生になっていて、コミュニケーション面も問題ありませんし(むしろ、主人や私の方が問題かも(笑))、異常なまでの集中力を発揮するということもなくなりましたし、柔らかく、自然な感じで過ごせているように思います。
自然体という言葉がぴったりですね。
強引な言い方かもしれませんが、不登校がもたらす心の重みで、アスペルガー的要素も引き起こされていた?な感じを受けています。
高校までは、この「見えない鎖」で縛られているような感覚は抜けなかったんだろうなぁ、親や周りが思う以上に重かったんだろうなぁと思えてきます。
これはたとえ通信制高校であっても、です。
見た目的には、全日制高校に比べれば、通信制はかなり自由度は高いし、実際息子は高校3年生の時はほとんど通学していませんでした。
でも、心は自由どころか縛られていた。
今の方が時間的にはタイトなのに、心は伸び伸びしているのを感じ取ることができますからね。
不登校の子供には、物理的に自由な時間はたくさんあります。
私達親が見ているのはこの時間で、ゲーム、スマホに没頭する、昼夜逆転の姿を目にする、少しくらい勉強すればいいのに、とイライラしますよね?
しかし、これは顕在化された氷山の一角みたいなものだったと今の私は思っています。
潜在化されている部分では、ずっと縛られていて苦しかった。通わない選択をしても苦しかった・・・。これが、息子が感じていたことだったと思えます。
心理学は見えない心を科学するものなので、確かに参考になるし、ヒントになることも多いです。でも、心はみんなが違う。傾向はあっても理論がピッタリ当てはまることはないような気がします。原因がわかってスッキリすることもあれば、逆に「違うな・・」とモやっとすることもあります(笑)
心理学を勉強している息子ですけど、なかなか面白いけど難しい分野ですね。
私が今推測していることを息子はいつか理論立てて説明してくれるでしょうか?
そんな楽しみも出てきました(^^♪