「卒業アルバムは要らない」
これは不登校のお母さんが持つ共通の感情のようです。
息子の場合、小学校の卒業アルバムはありますが、中学校の卒業アルバムはありません。
小学校の時は仲の良い友達もいましたし、友達の顔もほぼわかる状態でした。養護教諭の先生にもお世話になったし、サポートルームの先生にもスクールカウンセラーに先生にもお世話になりましたからね。
教室には入れなかったけど、自分が安心できる先生に会うだけなら自分から学校にも行けたので、私もそんなに抵抗はなかったです。
でも、中学校は映りたくもないし、欲しいとも思いませんでしたよ。
息子は附属小学校から学区内の中学校に入ったので、ほとんどの友達が知らない状態。良好な関係を築けたのは一人の先生だけでしたし、その先生も卒業時には退職していたのでね。
うーん、思い出して書くだけでも、まだちょっと心が乱れますね。
学校の先生も仕事ですから、全ての生徒に対し向き合わないというのはわかるんですよ~。でもね、不登校の家庭は学校と離れることで安定するところがあります。学校を介すると感情は一気に乱れてしまうというのが自然なんですよね。
親も大人ですから、嫌でもきちんと対応しないといけない。自分の感情を抑えて先生に接している方がほとんどでしょうね。
でもね、息子は敏感でしたよ。
そこに先生の「心」があるのかどうかを感じ取っていました。
「仕事」として向き合う先生と「心」でもって接してくれる先生。
怖いですよね、外見上は真面目に接してくれているのに、どこかで割り切って感情を感じられない先生は、それがこちらに伝わります。
「仕事」の先生ほど、結構頻繁に自宅までプリントを持ってきたりするから、これが厄介で(笑)
不登校に理解のある先生は、むしろそっとしておいてくれて・・・でも、気にかけてくれているのが伝わってきていましたね。
私も中学校には良い思い出が少ないし、息子も卒業アルバムは要らない!と言いましたから購入はしませんでした。
あと、写真を撮るかどうかですよね、これは学校によるのかなぁ。
私達は撮影を断りましたけど、学校側からそれはできない!と言われ、撮影はしました。
私としてはこれも相当抵抗があって、かなり苛立ただしく感じていましたよ。でも、息子は意外にあっさりとOK。こっちが「なんで?」と拍子抜けするくらい。おそらくですけど、息子は映るのが嫌とかではなく、写真撮影に行くのが面倒くさいという理由だったのだと思います。
今思うとね、この息子と私の感情の差がどんな理由かわかります。
私の中では登校できない悔しさというのが強く、他の通えている子供さんを見るのも辛かったし、先生に対しても感情穏やかに接することはできないというのがありました。
でも、息子はね、もうもっと先の感情に行っていたんだと思います。
嫌という感情はある!でも、そこに長く留まりたくない。写真を撮って済むならとっと取って終わらせようぜ!みたいな感じ。
「この子が学校に来なかった子?」と思われても、「俺だって、あんた知らないし~」と関心の外にあったんですよね。マザーテレサの愛の反対は無関心。この無関心に近い感情だったのではないかと、今になって思います。
先生からしたら可愛くない子供だったでしょうね(^^;
事務的には態度には事務的な態度で返し、合理的に終わらせてしまうところがありましたから。
だからね、先生が来た時も、嫌とは言いつつ、会って応対はしていたんですよね。親としては助かりましたけど、息子の心の中は、きっと、嫌なものはさっさと終わらせて、あとは忘れるべ~♪な感じだったのかなぁと想像しています。←あとで、息子からなんか言われるかも(笑)
私はこういった状況には弱くて偏頭痛を起こしたりしますけど、息子はこういう状況にはめっぽう強い。
その一方で、例えば、ボウリングのパーフェクトがかかった最後の一投とかになると、息子は投げないで逃げるタイプで、私は絶対取ってみせると燃えるタイプ。
人の強さ、弱さなんてホント人それぞれ。
嫌なモノ、嫌いなモノに感情を入れずに合理的になれたら、私もきっと生きやすいんだろうね。