サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

不登校は子供の特異なところを嗅ぎまわる訓練

 

この3日ほど、我が家は3人ともちょっと体調不良でした。

男子2人は風邪なのか喉の痛みと怠さでダラーッとしており、私は低気圧のせいか頭の重さと怠さでダラーッと横になりながら、Kindleで本を読んで過ごしていました。

で、土日の夕方からは日本シリーズを観戦。

ひいきのチームだと熱も入って、感情が先だって冷静に見れない時もありますが、自分にとって中立のチーム同士だと、ゲームの流れというのを見る点でも面白いし、選手の個性を見るのも面白い。

結構、人を観るということでは役に立ちますね。

先日のドラフト会議でも、立派な実績を残している選手ばかりではなく、隠れた逸材もそれこそたくさんいて、そこを見いだせるかはスカウトの目にもよるし、引き出せるかはコーチに手によるんですよね。

要は、人が注目しないところを注目する視野の広さが、選手の才能を引き出すことにもつながるということ。

ドラフト1位で入っても活躍が約束されるわけでもないし、ドラフト下位や育成契約でも活躍する人はいます。

ピッチャーにしても大柄で豪速球を投げられるから大成するかというとそうでもなく、170㎝そこそこでも力のあるボールを投げる投手もいるし、直球が130キロ台でも変化球を利用して緩急でバッターを惑わせ、勝利を掴む投手もいるわけです。

一般的に目を引くのは投手なら豪速球であり、野手なら長打力がある選手なのかもしれないけど、だからと言って諦める必要はないということですよね。

ないものを求めるのではなく、自分の持つものでどうやって勝負できるか、これを考えることが大事だとつくづく考えさせられています。

私は豪速球を持っている投手より、豪速球は投げられないけど緩急で相手に的を絞らせない頭脳的な投手が好きだし、ホームランスラッガーよりもヒットを量産したり、足でかせいだり、投手が嫌がる打者が好きなんですよね。

決して派手ではないけど、地味に自分の花を咲かせることができる選手に魅力を感じます。

 

この考え方になったのも息子が不登校になってからですよね。

ちょっと不利さがあるような選手に目が行ってしまいます。

やれないこと、できないことを求めるより、自分の持っているのを上手に利用する。腐らずに活かす。

学校にしがみつくというのは、130㎞台の速球が投げられない投手に150㎞台の速球を投げるように頑張れ!と言っているようなものと私は思っていますよ。

 

ここで、ちょっと質問します。

あなたにとって教育の定義とはどのようなものでしょうか?

学校に行かせることでしょうか?

小学校、中学校、高校、大学で学ぶことでしょうか?

学校という集団の場で、社会性を身につけさせることでしょうか?

あるいは学校で友達を作ることでしょうか?

 

もしかしたら、考えたこともなかったかもしれないですよね。

私は、学校で必要な学力をつけること、社会生活を通して倫理的、道徳的なことを身につけていくこと、が教育だと思っていました。

でも、今は違うかな?

私が思う教育は、その子が将来にわたってやりたいと思えることを見つけること、それを叶えるにはどうしたらいいかを学んでいくこと、に変わりました。

働く期間というのは学校に在籍するよりもずっと長い。

ざっと計算すると40年は働くことになりますよね?

40年ですよ。

もしかしたら、あなたの年齢に近いかもしれないですよね^^

この40年をどういう仕事に費やすのか?

自分が好きと思える仕事につくのか、それとも与えられた仕事をするに留まるのか、この違いは大きいです。

いくら好きな仕事でも仕事が嫌になる時は必ずあります!

でも、数日すれば、戻りたくなるのが好きな仕事だと思います。

少しでもここに近いものを見つけることが教育かな?と思うようになりました。

 

息子は、投手で言ったら、速球は投げられず、駆け引きでバッターを惑わせるタイプだし、ホームランバッターではなく、しぶとく粘ってファーボールを選ぶ投手泣かせのタイプだと思います^^

決して、花はありません。

 

だから、野球をみていると元気付けられますね。

素質的にはみんながみんなスーパースターではないんですよ。

でも、自分のちょっと特異なところを輝かせている選手もいて、きちんと同じ場に立てているのはすごいこと。

これには、

などなど考えることですよね。

 

監督やコーチからの教えを素直に聞くのは大切ですが、教えを聞いた上で、自分はどうするのか?を自分で考えて決めることが大切だと思います。

 

人生は自分で作っていくものです。

私の中では、学校行っていないから・・は、言い訳で、甘えです。

学校に行っていないから、ではなくて、学校に行っていなくても、と思うようにしています。

まだまだ、息子のたくさんの特異なところを私はクンクン嗅ぎ続けたいと思っています。

 

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