最近、あるテレビを観ていて思ったこと。友人との会話から考えさせられたこと。
ここに一つの共通点がありました。
それは、私が共感できる『親としての在り方』です。
自分でいうのもなんですが、私は、息子が不登校になる前の自分の育児観、教育観が大嫌いです。
息子が不登校になっていなかったら、現在の私は、きっと嫌いなタイプ。
そして、不登校でなかったら、その育児観、教育観にそって疑いもなく、突き進んでいたでしょう。
育児観、教育観なんて書くと、いかにもたいそうな感じがしますが、決してそんなことではなく、『この考え方好きだな、嫌だな』この程度の感覚です。
好きなものは、心を明るく、共感させる。
嫌いなものは、抵抗を起こし、敬遠させる。
素直に従うだけのものです。
息子が不登校になる前の私は、『自分の考えを前面に出し、息子を型にはめる育て方』でした。
私がこのような考えを持っていたのは、自分が育った環境も影響しています。
自分が思い込まされていたもの、ですよね。
子供が幸せになるために、健康、知識、心の持ち方、考え方などが大切で、それを身につけておく方が子供のため、と思っていたのです。
勿論、これらも大切とは思うのですが、私というフィルターを通して見る価値観なので、かなり主観的ですね。
我が子であっても、1人の意志を持つ人間です。
親である私と、顔や身長も違うし、性格も得意なことも、苦手なことも違います。生き方、考え方だって違います。
ただ、一定の時期は子供は親なしでは生きられず、親の力がどうしても必要なんですよね。
この時期にあまり歪めないようにしたかった、というのが正直な思いです。
子供には持って生まれた才能が、ダイヤの原石のようにあると思うのです。
子供がどの方面で力を発揮するのかは、子供の『好き』『熱中できる』『楽しい』こうしたポジティブな感覚によるところが大きい。
ここで親の考え方をバンっと出してしまうと、子供の方で『親はこれは嫌だろうな』という抑制を働かせてしまい、結果、自分の大切な感覚を鈍らせ、歪め、目に見えていた原石を埋めてしまう・・・
このような生き方をしている人が多いのではないでしょうか?
子供のやりたいことをやらせる。
一言で表すならこの言葉です。
自分が強制せずに接するのはもちろんですが、たとえ舅や姑、自分の両親との仲が悪くなろうとも、それぞれが持つ育児観、教育観をはねのけ、子供の自由に選ぶ生き方を守る方法です。
この方法は聞く耳を持たないように見えるので、世間的には、悪い嫁、悪い娘といい評判が立つことはないでしょう。
冒頭のテレビ、私の友人もそうかもしれません・・・
しかし、子供から見たらどうでしょう?
身体を張って、自分な好きなことをできるようにと守って応援してくれる親の姿は、言葉にできない、涙が自然と溢れてくるような、熱いものを感じさせるのではないでしょうか?
その親の思いを感じて育った子供は、どんな心を持つでしょう?
温かい心を持って成長し、相手の心をも尊重できる人になっているではないかと想像します。
これからの日本、機械的に歯車のように働く時代ではないと私は思っています。
心が心を動かす時代。
妄想と思われてもいいですが、これから求められるのはそのような人材とも思っています。
学校の勉強も大事。
成績が良いことも、良い大学に入ることも、良い会社に勤めることも大事です。
これは目に見える評価につながりますけど、見えない心の教育も同じくらいに大切です。
不登校は私の考えをここまで変えました。
10数年間悩み苦しんできましたけど、人は変わります。
昔の私なら、冒頭の2人は大嫌い。二人の心の奥にある思いを感じ取ることさえしなかったでしょうね。
でも、今はそこに強い魅力さえ感じます。
二人は少数派に入るでしょうが、少数派は大衆には受け入れられず批判を受けることも多いです。
でも、その中にあるものはダイヤモンドにも近いもの。
不登校もダイヤモンド。でも、まだまだ原石のまま。
これを磨いて輝かせていけるかは、私達親子にかかっています。
一緒に磨いていきましょうね(^_-)-☆