サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

学校から離れることでわかることもある。この機会を無視しないで欲しい。

 

昨日の朝、主人から『今日何の日か知っている?』と聞かれました。

1月23日ですね。

 

実は私達夫婦の結婚記念日でした(笑)

 

特にお祝いをするとかはないんですけど、言われることで結婚当初のことは思い出します。

1994年に結婚しましたから、24年目に入ります。

人生の折り返し地点を過ぎて、今度は夫婦として過ごした時間が人生の半分になってきました(笑)

 

振り返るとあっという間。仕事も忙しかったし、資格の勉強にも14年を費やした。

子供が生まれてからは喘息発作で30回ほどの入退院もしたし、そのほかにも緊急外来に何度も駆け込んだ。

両親の闘病があり、そして、息子の不登校があった。

その不登校の息子は現在は大学の受験を目前に控えています。

 

これまで無我夢中だったけど、私は自分で決めてた道を歩いてきたかなとは思います。ただ、それは若かった私がその時にやりたいと思っていたことで、その欲求はまだまだ本当の自分から出たものではありませんでした。

その頃の選択はまだまだ表層レベルで、例えば、世の中で流行しているから飛び込むというような、自分で選んでいるんだけど、周りにコントロールされての選択だったんですね。

 

だから、自分で好きで選んだはずなのに、あれ?自分楽しめていないな、と感じることはあったんですよ。

 

こうして比べると、息子は自分の気持ちにずっとずっと正直に生きている。

登校できない思いを理解してもらえず、苦しかったこともあったでしょう。それは今も少なからずあるかもしれません。

 

でも、考えてみれば、周りの人すべてに理解してもらわなくてもいいはずなんですよね。息子が大切と思っている人がいて、息子のことを好きで付き合ってくれる人がいればいい。

そもそも、息子に付き合ってくれる友人たちは、息子が不登校だろうが一切気にせず、話題にもしていませんしね。

 

周りの目を気にするというのは日本人の特徴でもあって、親の方がその傾向が強いです。

人目を気にして日中歩けないのがそうだし、子供の不登校を隠してしまいたい気持ちもそう。

 

でも、気にしたところで改善しましたか?

 

私は改善するどころか、逆に自分の殻に入り込んで孤独感が強かったです。周囲の目を気にして、周囲と同じようにするということはなかなか大変でもあり、苦痛でした。

 

でもね、息子が高校に入り、息子の周囲にいる人間関係がガラリと変わりましたね。

学校に来る子供達も通信制の利点を生かして楽しんでいますし、どちらと言うと、みんな我が道を突っ走っています。

むしろ、息子、まだまだ遠慮が多いぞ!と思えるくらい(笑)

 

私はこの生き方で良いと思っています。子供に活気という『氣』があり、私はそれを感じることができ、嬉しく感じていますから。

クセはあっても、その子がその子らしく生きている。

まだまだこれから大学に行く子供達だけど、将来が楽しみにさえなります。サラリーマンになっている子はきっと少ないでしょうね。だから、面白くもある。

 

私は不登校というはみ出した世界にどっぷりと浸かってきて、周囲と違うことで孤独を感じていた期間を経て、でも次第に、一般的な学校生活、社会生活の方が自分を狭める生き方と感じるようにもなってきました。

はみ出してしまった世界から見ることで、ある種の洗脳された人生、コントロールされた人生が見えた、気付けたということですね。

かつての私もその中に入っていたわけで、自分の選択した道のようであって、実は限られた中での選択。だから、どこかでモヤモヤもあったと気付いたのです。

 

自分の感性ってごまかせないものですね。

私達はその訴えかけてくる感情を抑え込んで生きています。

 

自分が嫌だ、なんか違う、そう感じた時、抑え込まずに向き合うことをできたら、人生が変わるチャンスだと思いますよ。

自分の好きなことってなんだろう?
自分が心の底から望んでいることって何だろう?

向き合うほどに意外な自分に出会うことも多くなって、自分の本当に望むことがわかるようにもなって、無駄が省けていくんですよ。

 

不登校の親子には、普通とは違う何かが課せられている私は感じるんですよ。普通とは違うことをなす何かかもしれないし、それは決してマイナスではない何かです。

 

結婚記念日ということで過去を振り返り、こうして書くことで私も自分と向き合っていますけど、記念日とか子供の生まれた日とかちょっとこうした作業をしてみることはおススメですよ。

 

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