不登校に限らず、子供に関することで夫婦の意見が食い違うというのはどの家庭でも見られることだと思います。
それぞれの考えがあり、主張がある。
その考え方に偏りがあったとしても、子供の将来のことを思う気持ちはみんな一緒なんですよね。
だから、私はいつも思うのです。
みんな頑張っている!どちらも正しい!と。
ただ、親子3人の主張が一致するなんてことは稀とも思っています。
お互いの意見がぶつかってしまうと、自分の主張を押し通そうとする力が働いて、それを相手にも強要してしまうということが起きてきます。
気付けば論点がずれまくっている・・・
あるある話ではないですか?
一旦、自分の考えを脇に置く柔軟さがあればなと私も反省しつつ振り返っています。
大切なのは、子供ができるかどうかということ。
あくまでも目を向ける先は子供であって、親の感情ではないのです。
子供がいずれは自立していけるように、今できるところから頑張れるところを一緒に見つけて、そのサポートをしていくことではないでしょうか?
自分が思っていることが正しいと思っても、その方法が果たして子供にあっている方法なのか?を考える親は少ないように思います。
私の例をお話しします。
昨日の投稿でも書きましたが、私は厳格な家庭で育てられました。
それが染みついて大人になっています。
家にいることが窮屈で、本当は嫌で、早く家を出れる正当な手段は『結婚』とさえ思っていたのです。
親にされたことを嫌と思いつつも、すっかり身につけてしまった習慣。
私は息子に対し、ほぼ無意識に、厳格なルールを強要していました。
『学校の規律さえも守れない人間が世の中ではやっていけない。そんなに甘くはないぞ!』と。
良く言えば、私は親の考えを素直に吸収した良い子だったのかもしれません。
子供に限らず、人の性格は様々で、その方法で頑張れる人、頑張れない人がいますよね?
根気がない!我慢が足りない!
このような言葉を口にする人は自分の価値基準でしか判断していなくて、子供目線で見ていないってことに気づいていますか?ということなのです。
自分にできることが他の人にできるとは限らない。
反対に、他の人ができることを自分ができないことだってあるのです。
私は厳格さに対し、我慢をしてでも頑張れる人だった。
でも、息子はその方法では頑張れない子だったのです。
学校という場所が息子の『頑張れる領域』ではなかったということですね。
それなのに、私は自分がよかれと思うやり方を息子に押し付けてしまいました。
自分の考えを持つのはとても良いことです。
それがあなたのスタイルに合っているのなら、それはあなたを律するために使って下さい。
その信念は、あなたを飛躍させる武器になります。
でも、残念ながら、あなたとお子さんは親子であっても違う人間です。
あなたの主張は一つの方法にしか過ぎない。
子供に合う方法があれば、そちらの方がいいはず。
その方が子供の笑顔が多くなると私は思います。
学校に行かないことはわがままのように見えて、でも、不登校は子供にとっても重荷となっていることもあるんですよ。
親の言うとおりにできない自分を責めていることだってあります。
親の機嫌を取るために笑顔をつくっていることだってあります。
自分の経験から思うことは、子供の心を軽くしてあげることができる方法で良い方向に向かわせてあげたいということです。
不登校だからこそ、より一層の笑顔を引き出すようにしてあげたい。
私はそう思っています。
これも徐々に行き着いた私の考え方の転換です。
私は息子を復学させることはできなかったので、不登校の改善方法をお伝えすることはできません。
できませんけど、学校に行けずとも息子が自立できたなら(現在高校3年)、その方法をお伝えすることはできます。
不登校でも、経済的にも自立し、社会的にも自立し、精神的にも自立する。
この『自立』が私の目指す道です。