サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

不登校という心理の分析

 

こうして記事を書くようになって、改めて不登校のことを考えることが多くなりました。

今の悩みというより、過去どういうことで悩んでいたかという振り返りだったり、自分が学生の時の気持ちを思い出して比較してみたり、或いは、友人が学校をどう位置付けて生活していたのかなと想像してみることだったり、過去を拾い上げて分析しています。

勉強が嫌いでも成績が悪くても、友達と会えるから楽しい!と通える子もいたし、友達と合わなくても部活があるから行けるという子もいます。

1つでも通える目的のようなものがあれば、登校できるんですよね。

不登校の子はその目的が何もない、見つけられないということなのでしょうか?

 

以前、息子から言われた言葉があります。

『お母さんは部活をしに学校に行っていたんでしょ?』
『だから、行けたんだよ』

確かにその通り。

面白くない授業もあったし、嫌な先生もいました。部活だって決して楽ではなかったです。

それでも、私が通えたのは、帰りに友達と買い物をしたりお茶したりすること、今日も練習をした、という達成感を味わうこと、この2つだったのかもと振り返っているのです。

仮に、部活の人間関係でこじれて退部していたらどうだったろう?

果たして私は通うことができただろうか?

そう思うと自信がなくなります。

私も通信制で黙々やっていたタイプかもしれません。

 

こうも考えられます。
学校嫌いは自分でも感づいてはいましたから、私が通う動機づけのために部活を選んでいたのかも、ということ。

当時はこんなこと考えもしませんでしたけど、否定はできないんですよね。

 

勉強が楽しい!だから学校に行く!そういう人は、そうそういないでしょう(でしょ?笑)

学校は行くべきものという考えはちょっと脇に置いて、あなたが学校に行けたのはなぜなんでしょう?

・授業が楽しいから?
・友達に会えるから?
・部活があるから?
・好きな先生がいるから?
・好きな先輩、同級生がいるから?

考えてみたことがありますか?

私は部活と友達でした。これがあるから通えました。

行けない子は学校にこうした目的がないのかな?

 

私の友達の子供で中学は全く通えなかったのに、高校は休みがちながらも卒業できた子が実際にいます。

場所的な環境も友達的な環境もガラリと変わって、中学はダメだったけど高校は大丈夫、この違いは何だったのかな?と考えてみたのです。

ここからは私の想像での話で、わかりやすくするために極端な表現をしますけど、中学は息苦しくてとても居られる場所ではなかった。でも、高校はまだ座って居られる場所だった。

自分の感覚でもって受け入れられたってことですよね。

私達親の例で言えば、旦那さんの実家に毎日通うのが中学校。大好きな友達の家に遊びに行くのが高校。

こんな感じでしょうか?

あくまで、感覚の捉え方としての例ですよ^^

どちらが居やすく楽しいか?

変な例ですけど、この位の差があるのだと思います。

旦那さんの実家に行くのでも、1つでも楽しいこととがあれば行けるんですよね。

でも、苦でしかない人には地獄です。

これはね、本人が感じることでしかわからないものですから、周囲はわかりずらく理解してもらえないことが多いかもしれないです。

私も今だから、こうして擬似体験をしてみたり、こうだったのかと仮定して振り返ったりしていますけど、最初は全然ですからね。

ちょっと思った不登校の心理でした。

あなたにも思い当たることがあったら、感じてみてください。

 

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