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不登校息子の幼なじみの親友君は『白ごはん』のような存在

 

時が流れれば、人も変わる。
付き合う人も変わる。

 

変わらないって思うかもしれませんが、その人なりの成長は必ずあって、自分の周囲の顔ぶれって変わってますよね?

 

私は毎年一回、この時期に高校時代の部活仲間と会うことにしています。

友人の一人がこの夏休みに帰省するのでね。

地元に残っている仲間がいるにはいても、連絡を取って会うことまではなくて、いつの間にか、友人の帰省に合わせて会うようになりました。

 

ま、会えば学生時代に戻り、それなりに楽しいんですけど、話が合わないなと感じたり、やっぱり、いろいろと違ったものは感じます。

生きる世界が違うというか、意識の層が違うというか、おわかりいただけますかね?

 

ただ、みんなが元気でいることは嬉しいし、年一回でもこうして会えるのは幸せですね。

 

私が息子と同じ歳のころ、多くの時間を過ごした友人ですから。

 

ここで、私はまた当時の私と息子とを眺めてみるんです。

私は団体行動は苦手でしたし、一人気ままに自由に動くのが好きでした。

今もその傾向は強いです。

でも、選んだスポーツはチームスポーツなんですよね。この矛盾はなんなんだろう?

 

と、話がそれましたが、

私は自由を好む性質もあって、友人関係は『広く、浅く』だったんですね。

息子は、どちらかというと、『狭く、深く』のように感じます。

 

幼なじみ君(こちらの記事の子です→『楽しいをつくろう』)が一番居心地が良いみたいで、半日、一日、泊りがけで遊んでいきます。

幼なじみ君との遊びの特徴でもあるんですけど、なぜか遊ぶのはいつも『我が家』。

一緒に外に出かけることもありますが、用事だけを済ませて帰ってきて、我が家でゆっくり・・が多いんですね。

生活の中に入っているということなのか、もう友達という感覚ではなく、家族的な感覚なのか、

本人の言葉を借りれば、

『あいつは白ごはん』のような存在

だそう。

 

どういう意味かというと、

焼き肉やお寿司は美味しいし好きだけど、毎日食べたいとは思わない。

でも、白ごはんは毎日どころか、毎食でもいけるでしょ?

ということらしいです。

 

なるほど・・・

 

と思うと同時に、私にはそういう存在がいないな・・と思ったし、羨ましくもあり、今後も大切にしていって欲しいなと思うのです。

 

でも、この幼なじみ君の魅力って何なのかな?

と私は考えます。

 

自然にしているのか、意識しているのかわからないんだけど、『人に気を遣わせない接し方』を魔法のように使うんですよね。

 

だから、一日いても、泊まっていっても私は一向に疲れない。むしろ楽しくて、帰ると寂しくなってしまいます。

 

持って生まれた魂的なものなのか、親の育て方なのか、いい子だなぁと思う子に出会うと、

『この子の親ってどんな方なんだろう?』

『どんな育て方をしたらこういう風に育つんだろう?』

 

と私は思うようになってきました^^

 

ただ、幼なじみ君に限っては、切れない『ご縁』というものを私は感じています。

本当に不思議な『ご縁』の重なりがあるんです。

 

子供は子供同士で幼稚園で仲良くなり、

親と会ってみたら、私の小学校、中学校の先輩(同級生同士で結婚されています)でしたし、
しかも、私の兄の同級生でした。

そして子供のおじいちゃん同士が、実は病院仲間で毎日会話を交わしていたりしたんです。

『うちの孫、〇〇幼稚園に通っているんだ』

『あー、うちの孫も同じところだ』

みたいな話で、お互い孫の話で盛り上がっていたようですよ^^

 

そして、先日は、

『高総体終わったねー。結果どうだったんだろう?』

と息子と気にしつつ、二人でコンビニに買いものに行ったら、なんと幼なじみ君も親子で買い物に来ていて、

『おかげさまで、今日で全部終わりましたー^^』

と残念な報告を頂けたり・・・ね^^

 

どちらかというと現実主義で、科学的証明ができるものを信じたい私なんですが、次々と信じざるを得ない不思議な現象を見させてくれるご家庭なんです。

 

いろんな意味を含めて、幼なじみ君と息子の未来を見ていきたい、今、そう思っています。

 

そして私もね、息子にとっての幼なじみ君のような存在ができたらなって、いえいえ、できたらな、じゃなくて、つくっていきたいなって思っています。

 

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