サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

先生も生徒もお互い学び合うのが【不登校】

 

私には同世代の友達もいるけれど、一回り下くらいの子もわんさかいます。

私が年上だからなのか、結構学校の愚痴も吐き出してくれて、「なるほど~」と考えさせられることもあるんですよ。

息子が小学校の時は、私が実際に小学生の母親という立場であったために、見えていなかったことも多かった。

今は友達の話を聞きながら、過去の自分に戻って考えてみたり、過去と現在を行ったり来たりしながら、学校や先生を客観的に見ることで、息子の不満はこれだったか・・・と思い至ることもあるのです。

客観的視点って面白いほどに見えてくるものですね。愚痴を聞きながらこんな視点になるのも不思議です。

 

息子は、先生に対し不満を持ち「行くもんか!!!」と強く思っていたところがありました。

友達とのトラブルはほとんどなく、先生に対する不満がほとんどだったのかもと、昨日友達の話を聞きながら思えてね。

好きな先生の時は、学校に対して柔和になっていて、嫌いな先生の時は頑なになっている、この違いが確かにあったと思います。

友達の子供の担任が「息子が嫌っていた先生と似てるな」と感じ、このことに気付いたんですけどね。

タイプとしては、生徒の心を理解しようとせず、自分の正論で押さえつける感じです。

これで、黙る子は黙るんでしょうが、友達の子供のように黙っていなかったり、態度で示したり、息子の場合は「行くもんか!!!」で現したり(笑)、こういう子は、先生から見たら可愛くはありませんよね。

でも、可愛くないと済ませて、注意をするだけでは足りないのでは・・と私は思いました。

 

息子の通えない大きな原因は、縛られるのが苦痛というものでしたが(そうだったと現時点では思っています・・・(^^;)、でも、ちょっとばかり息子に順応性があったらどうだったろう?

仮に学校のシステムに馴染めていたとして、そこで先生との不協和があったらどうだっただろう?

きっとそれが原因で通えなくなっていたかなと思えてもきて、先生への抵抗、不満を行かない選択することで主張していたような気がします。友達の話から息子のそんな姿がちらつきましたね。

 

どの先生が担任になるかは「縁」です。子供は、その「縁」の中で、嫌な思いも経験しながら学んでいきます。

先生にとっても不登校の子の担任なるというのは「縁」ですよね。

もしかしたら心の中で「面倒な生徒を受け持ってしまったな・・」と思うこともあるかもしれません。でも、先生も不登校の生徒を通して学ぶ必要がある。自分が原因で生徒が不登校になることもある。これは先生にとってはキツイけど、実際あるように思えます。そこで、先生が、

自分がわかっていないことはないか?
自分の考えが間違っていないか?
自分の態度はどうだろうか?

という気持ちを持てていたら、息子の頑なさは緩和されていたかも、なんて偉そうに思ったりしてね。

年齢は大きく離れていても、先生も生徒も学びあうのが【不登校】だと思います。

 

大人だからって完璧な人はいないです。

私達親も感情があるから、先生に対して、苛立ちもすれば、不満も抱きます。表面は取り繕ってはいても、心の中では「先生のその態度が問題でしょ?」と思うことも多々ありました。

それが、私の学校への不信、不満として向けられていたこともあったけど、先生の態度がいつ改まるかはその先生の魂の成長のタイミング。私が強制できるものでは全然なくて、相手が気付いてできるものですよね。

 

だから、私ができることは、それを「反面教師」にして、「こうはなるまい」と我が身に活かすことだった。

あの先生こうしたらいいのに~、あの先生のこういうところが嫌いなんだよね~、ひとつ不満が出てくると次々出て来て、気分が悪くなるけど(笑)、そのあとに、自分が同じことをしていないかきちんと見ることが大切だったということ。

私に欠けていた部分です。

ということで、先生の不満を吐き出しきった後は、もうひとつ作業がありますよ(笑)

それは、自分はどうか?同じことをしていないだろうか?と向き合うことです。

同じことをしていたら、自分も嫌な人なんでね、そうならないようにしたいです(*´▽`*)

 

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