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イチロー選手のストーリーから見る【不登校】との共通点

 

昨日の息子は楽しそうでした♪

友達を超えた家族のような友達のA君は、息子にとって、そしてA君にとっての宝物。

親友というのとも違うような2人の関係。いつ見ても羨ましいです♡

 

不登校の子供にとっても、私達親にとっても、誰にとっても、自分に合う「人」との出会いが、バーンと弾ける人生のビッグバンのような働きがあると思います。

 

今日は、誰もが知っているイチロー選手のストーリーを振り返ってみたいと思います。

イチロー選手は振り子打法という一般的には否定される打法で開花しました。

この今までの常識を覆す新たな打法は、邪道な打法であり非現実であると首脳陣の否定的意見にあいます。首脳陣だけではなく、多くプロ野球関係者や視聴者も酷評していましたよね。

それでも、イチロー選手はずっと理解されない環境の中、じっと耐え、諦めずに自分の打法を研究し確立させていきました。

イチロー選手の転機は、1994年。

監督が仰木監督になり、コーチ陣も代わった年です。仰木監督は、イチロー選手の打法を矯正しようとはせず、「いいんじゃないか?」といじらずに活かしたんですね。

その結果どうなったでしょう?

1994年、イチロー選手は200安打を放ち、時の人となりましたよね?

非常識と言われた打法です。それで結果が出てしまったのです・・・。

そうすると、模倣する選手も現れてきます(笑)

セオリーが大切というのはあります。それはわかります。でも、少数派ながら、当てはまらないないケースもあって、イチロー選手は自分の信念を貫き、革命的な打法を生み出した。

私が重視したいのは、邪道と酷評され、独特な打撃フォームを「常識的」な打法に治すよう指示するコーチが多い中、そこがイチロー選手の短所ではなく、長所と評価したコーチの存在です。

イチロー選手はコーチと二人三脚で振り子打法を固めることに専心し、仰木監督の評価を受けて、爆発しました。

その後の活躍はあなたもご存知の通り。40歳を超えた現在もメジャーで選手としてやっていますよね。

 

このストーリーがね、私はどうしても「不登校と似ているよなぁ」と思ってしまうわけです。

私達はまだまだ不登校を理解してもらえない状況にいます。

偏見を持つ人もいれば、親からしたら違うよな、わかっていないよな、という意見を口にする人も多くいて、伝わらない思い、理解されない思いを親子で抱えています。

これは私だけの感覚ではありませんよね?あなたも多少なりとも感じていますよね?

でも、一人でもそばに理解してくれる人がいたら、前に進める。

理解者は最初は一人でいいと思いますよ。

イチロー選手が酷評の嵐を受けながら打撃フォームを固めたのと同じように、私達も子供の人生を独自の方法で固めればいい。

 

理解者なんていないよ。そんな出会いって本当にあるの?

そう思われましたか?

 

最初の理解者は母親であるあなたですよ~(^^♪

あなた以外にはいないと私は思っています。

 

ダメな子なんて一人もいないんですよ。

あなたのお子さんもあなたができないことができたり、「凄い!」と素直に思えるところがありますよね?

あなたがお子さんの特性を見つめて活かすようにすれば、親子の2人3脚が次第にそれが波動として伝播し、その波動に共鳴する人が現れるものです。

 

大切なのは最初の種。

種がなければ芽が出ないので、最初の種は母親であるあなたであって欲しいと思います。

不登校という生き方は、まだまだ否定される生き方で、そうした環境に耐える必要はあるのは辛いこと。でも、母親が諦めてしまったら、子供を信じることを諦めてしまったら、種がなくなってしまいます。

 

途中躓きもあれば、もどかしく感じることもあります。やっぱりダメかーとネガティブになることもあります。

でも、それが人間です(笑)

何度も何度も乗り越えていけるの人間。

みんな同じですよね(*´▽`*)

 

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